「落日燃ゆ」*1読了

失敬なエントリーを書いてみたりもしましたが、やはり後半は盛り上がりましたね。後ろ三分の一が東京裁判から広田の処刑までに割かれるというバランスながら、ラストに向けてはその長さを感じさせられることはまったくなかった。

軍部独走による開戦。しかし、その国は文民統制の働いていたはずの近代国家であり、戦後処理たる東京裁判においては、文官にもせめて一人には死刑判決が下されねばならなかった。天皇に戦争責任を及ばせぬためにも……。
統帥権独立という錦の御旗に苦しめられつつ戦争回避に奔走していながら、東京裁判では戦争を、南京大虐殺*1を防げなかった己の責任を見つめ、罪状認否で「無罪」の文句を口にすることを拒みすらした広田は、しかし、自らの生ヘの執着とともに、戦後日本の行末ヘの興味をなくしたわけではなかった。統帥権の独立のみならず、軍の存在をすら廃した新憲法の話題に、「これで、日本もよい方向に進む」と笑みをうかべ、「このいそがしい時代に」あえて、「日本のどこかに、静かに世界の動きを見る人がなければ」と言い残してもいる。
そう、言い訳や愚痴を別にしても、過去についてをほとんど口にすることなく、彼は十三階段に消えていった。

「なぜあなたはそこまで強くいられるのか?」と、物語に入り込んで広田に尋ねたい衝動に駆られるまでに、そのラストに向けての描写には胸をつかれる。描写ではなく、描写というほどの描写をしないこの筆致に。
が、だからこそ、広田がこれほど美しく描かれることに疑いを向けた記述というのも今度は読んでみたくなる。なるほど、半藤一利『昭和史』ですか。惜しいことに文庫になっていないが、いずれ読もう。
他、興味深かったリンク先。こういう本格的なリンクは、正直、blogからではなかなか得られませんね、とつくづく思う。

*1:そう、この話では、南京大虐殺の真偽は問題ではない