餓鬼を2人以上飼う親の本音

雨天につき餓鬼とは室内遊び。
まあ、出不精な親なので、良天候であろうと、室内遊びの機会が多いわけだけども。


で、餓鬼の興味というものは当然、あっという間に移ろう。
例。室内用サッカーボールでPK戦をやろうと言い出したかと思えば、それはいつの間にかバスケに変わっている。
これはサッカーボールだってば、などという理性的な言い聞かせが通じるはずもなく。
まあ、別に何も問題はありませんが。


最終的に、訳のわからない球技になる。
6歳女児と、サッカーボール2個の交換を繰り返す。無論投げ合うのです。
無秩序ではただの莫迦騒ぎになるので、6歳女児は上向きに投げ、こちらは下向きに投げる。それでも充分莫迦騒ぎですが。
当然、餓鬼は予想もつかない方向に投げるわけで、苦労する役どころは親が引き受けるルールである。
「いーち、にーい……」。いずれのボールもバウンドさせずに投げ続けられた数をカウントし続ける。
座ったまま、ちょうどいい速さ、であれば51回までいけました。
まあ、座ったまま。ダサいのですけど。
普通はもっといけるだろうか。同じ遊びをやったことがある親御さん、あなたんちのレコードを教えて下さい。まあ、いませんね。


そういや。
村上春樹の「国境の南、太陽の西」で、こんな話があった。一部記憶があいまいだけど。

主役は、娘2人の父親となる。
で、ある日、義父に、「娘はかわいいか?」と聞かれ、主役は「かわいいですよ」と答える。
「二人とも同じようにかわいいか?」と聞かれ、「二人とも同じように」と答える。
で、義父は、主役をさとす。それは、娘たちがまだ小さいからだ。大きくなっていけば、絶対に同じようにかわいくは思えなくなる。自分と相容れないところを、一方の子どもに見つけ、必ず子どものかわいさに順番をつけるようになる。


まあ、こんなことは、物語に教えてもらわずとも、2人以上の親をやっている者誰もの、偽らざる本音でしょう。ですよね?
で、正直、僕もすでに順番をつけてしまっていることを自覚している。
「かわいさ」というか、「一緒にいるときの安心感」でいうと、4歳男児よりも、3歳男児よりも、6歳女児が一番に来てしまう。
では、4歳男児と3歳男児とでは? と聞かれると、こちらには順番がない。
あ、今日の莫迦遊びは、4歳男児や3歳男児ともやっていましたよ。念のため。


わけ隔てなく、というが、わけ隔てては、むろん、いけない。
言うまでもなく、親をやっていく上では、いろいろなやせ我慢というのが必要だが、これもまた必要なやせ我慢といえる。
うまくやりおおせないといけません。


そう思えば、「一緒にいるときの安心感」は、時間とともに変わっていく、変わっていかないわけがない、というのは、ある種救いかも知れませんね。
兄弟の誰でも、親にとっての一番になれる機会は、これから先いくらでもある、という意味で。
そんなもの、兄弟と競うものじゃありませんが。
もちろん、もちろん、例外はある。どうしようもなく破綻している親子もいて。


妙に詰め込みすぎました。
ご静聴、まことにありがとうございます。


あ、間違いなんですか! 「ご清聴ありがとうございます」が正解なのね。恥ずかしい限り。