日韓戦以上に衝撃だったこと

今日まで知りませんでしたが、WBCのテーマ曲がラトル指揮のマラ8ってどういうことなんだろう。随所でこのCDがかかるのでしょうか。
マーラーは好きなんですが、8番ってなぜだか縁遠く、確かシャイー=RCOの1枚を聴いたきりなのでなんとも申せませんが。


にしても、日韓戦、だなんて。野球もきな臭いスポーツになってしまったもんだ。
面白いからいいのですが。

北村薫「ターン」読了

いろいろ反則ですが(どう反則か、がすでにネタバレなので言えませんが)、莫迦おもろかったです。
小説の悦楽と物語の悦楽の両方を満喫できるという本は、ありそうで本当に少ない。この一冊との出会いを心から感謝したい。

ターン (新潮文庫)

ターン (新潮文庫)

MIDIに衝撃。投資はまだ要らない(してしまうかも知れんが)

ようやく、MIDIに対してシャッポを脱ぐ日が僕にもやってきたわけで。


長いこと、MIDIでの音楽なぞ、旧世紀のゲーム機程度のチープな電子音(まあ、これにはこれ独特のノスタルジーというものがありますが)によるもので。
第一、機械の演奏などでは、本来あるべき音楽的興奮は得られるはずもない。
そんな通りいっぺんの印象しかなかったわけですが。


クラシック音楽界の青空文庫」という素晴らしい理念のサイトをたちあげておられるユングさんのご案内がある。


「少しでもMIDIをよい音で聞くために」
http://www.yung.jp/saisei/sound.htm


とりあえず、外部音源の導入に先立って、無料の内部音源を試す。


が、やはりシンセサイザーはクラシックにはそぐわないことをあらためて感じる。定評があるらしいソフトウェア・シンセの体験版を聴いてみても、やはりピンと来ない。


そんな折、たどりついたYAMAHAのサイト。
MidRadio Playerというフリーのプレイヤー。以前すでに入れていたが、単なるMIDIプレイヤーとしても使用できることを知る。


CLLASSICAL MUSIC ARCHIVES
http://www.classicalarchives.com/comps/
より、以前落としていたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(フィギュアスケートのBGMになってたり、のだめカンタービレに出てきたり、で、いっそう知名度がはね上がりましたね)の2台ピアノ版(以前はてなでもWANTEDされていたが、2台ピアノ版はCDが出ていないようなのだ)を聴いてみる。


衝撃。


冒頭のクレッシェンドが、続く2台のピアノのせめぎあいが、CDさながらの響きをもって聴こえてくる。


知って聴けば、機械の演奏であることは、まあ、わかってしまう。アルペジオやトリルに人間味を持たせるのは、このあたりが限度なのかも知れない。けれども、ピアノは、十二分に歌っている。


いや、聞いていた通り、MIDIは音源ひとつでここまで変わるんですね。ここまで立派に音楽になるのですね。外部音源はまだ試していませんが、とりあえずわかりました。


というわけで、MIDIの打ち込みを始めてしまいました。まだまだわからんことだらけです。

Wordの表より上に文章が書けない

今ある表の一番上で改行し続け、表よりも上に文章を書きたいのに、どうしても文章が表よりも下に来てしまう。
表にマウスを持っていくと左上に見える四方向矢印アイコンをドラッグすることで解決。なんともはや。

餓鬼を2人以上飼う親の本音

雨天につき餓鬼とは室内遊び。
まあ、出不精な親なので、良天候であろうと、室内遊びの機会が多いわけだけども。


で、餓鬼の興味というものは当然、あっという間に移ろう。
例。室内用サッカーボールでPK戦をやろうと言い出したかと思えば、それはいつの間にかバスケに変わっている。
これはサッカーボールだってば、などという理性的な言い聞かせが通じるはずもなく。
まあ、別に何も問題はありませんが。


最終的に、訳のわからない球技になる。
6歳女児と、サッカーボール2個の交換を繰り返す。無論投げ合うのです。
無秩序ではただの莫迦騒ぎになるので、6歳女児は上向きに投げ、こちらは下向きに投げる。それでも充分莫迦騒ぎですが。
当然、餓鬼は予想もつかない方向に投げるわけで、苦労する役どころは親が引き受けるルールである。
「いーち、にーい……」。いずれのボールもバウンドさせずに投げ続けられた数をカウントし続ける。
座ったまま、ちょうどいい速さ、であれば51回までいけました。
まあ、座ったまま。ダサいのですけど。
普通はもっといけるだろうか。同じ遊びをやったことがある親御さん、あなたんちのレコードを教えて下さい。まあ、いませんね。


そういや。
村上春樹の「国境の南、太陽の西」で、こんな話があった。一部記憶があいまいだけど。

主役は、娘2人の父親となる。
で、ある日、義父に、「娘はかわいいか?」と聞かれ、主役は「かわいいですよ」と答える。
「二人とも同じようにかわいいか?」と聞かれ、「二人とも同じように」と答える。
で、義父は、主役をさとす。それは、娘たちがまだ小さいからだ。大きくなっていけば、絶対に同じようにかわいくは思えなくなる。自分と相容れないところを、一方の子どもに見つけ、必ず子どものかわいさに順番をつけるようになる。


まあ、こんなことは、物語に教えてもらわずとも、2人以上の親をやっている者誰もの、偽らざる本音でしょう。ですよね?
で、正直、僕もすでに順番をつけてしまっていることを自覚している。
「かわいさ」というか、「一緒にいるときの安心感」でいうと、4歳男児よりも、3歳男児よりも、6歳女児が一番に来てしまう。
では、4歳男児と3歳男児とでは? と聞かれると、こちらには順番がない。
あ、今日の莫迦遊びは、4歳男児や3歳男児ともやっていましたよ。念のため。


わけ隔てなく、というが、わけ隔てては、むろん、いけない。
言うまでもなく、親をやっていく上では、いろいろなやせ我慢というのが必要だが、これもまた必要なやせ我慢といえる。
うまくやりおおせないといけません。


そう思えば、「一緒にいるときの安心感」は、時間とともに変わっていく、変わっていかないわけがない、というのは、ある種救いかも知れませんね。
兄弟の誰でも、親にとっての一番になれる機会は、これから先いくらでもある、という意味で。
そんなもの、兄弟と競うものじゃありませんが。
もちろん、もちろん、例外はある。どうしようもなく破綻している親子もいて。


妙に詰め込みすぎました。
ご静聴、まことにありがとうございます。


あ、間違いなんですか! 「ご清聴ありがとうございます」が正解なのね。恥ずかしい限り。

功名が辻。とか、大河ドラマだらけ

すっかり存在を忘れており、第一話を見逃す。
ようやく二話目を鑑賞。
台本も雰囲気も、とっても現代調ですね。何から何まで「利家まつ」の二匹目のドジョウ狙いでしょうか。
山内一豊とは、よくも見つけてきたものと思いますが、そうまでして戦国をやりたいのでしょうか。あー来年も風林火山ですか。

様々な事情はおありでしょうが、他の時代をろくにやってもみないうちにマンネリとは、何だかなあ。
古代史や戦前・戦後史は、「その手の人々」が怖くてできない、ということですかね。ただただ情けない。
題材としては同じくらいやばい南北朝時代を見事にやってのけた(それも「逆賊」足利尊氏を主役に据えて)「太平記」スタッフのような心意気を持つプロデューサーは、今のNHKさんにはもういないのでしょうか。

というわけで、「太平記」再放送終了とともにファミリー劇場を解約。
翔ぶが如く(見ていなかったのですよ)」目当てにホームドラマチャンネルと契約。
他に「山河燃ゆ(同じくファミリー劇場)」「春日局時代劇専門チャンネル)」と、よだれもののラインナップですが、そんなに見きれるはずもないので泣く泣く断念。
今年は「翔ぶが如く」にはまることにします。いや、いい時代になりました。

……ああ、しかしこういう歳のとり方はしたくなかった。しんみり。

※参考まで。

流行に関わりを持たず、アバドのブラームス1番

ブラームス:交響曲第1番

ブラームス:交響曲第1番

ブラ1・アバドBPOと、組み合わせは面白くもなんともないながら、演奏はなんともある。
何もかもがアバド色。この色は、僕は好きだ。

日本中にクラシックファンが何人いるかはわかりませんが、こらえ性のなさ(= 全曲通じて集中して聴けない)において、僕はその中で上位に食い込める自信がある。どんな自信や。

なので、この曲の演奏にも、終楽章の美しさよりも、1楽章の苛烈さを求める。
そういう僕が、この曲の終楽章の歌に震えたのは、ひさしぶりのことだ。
「ああベルリンフィルが燃えている」。そう漏らそうとして、ためらう。ベルリンフィルなどと、アバドなどと、ただ彼らの名前だけでこの演奏を片づけてはいけない。

だから、フルトヴェングラーとの比較を云々する意味はよくわからない。これは、ただの、素晴らしい音楽だ。ただの、いい、ブラームスの1番だ。それだけでいいじゃないですか。